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漣 (吹雪型駆逐艦) : ミニ英和和英辞書
漣 (吹雪型駆逐艦)[さざなみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さざなみ]
 【名詞】 1. (uk) ripple (on water) 2. wavelets
吹雪 : [ふぶき]
 【名詞】 1. snow storm 
: [ゆき]
 【名詞】 1. snow 
: [かた]
 【名詞】 1. mold 2. mould 3. model 4. style 5. shape 6. data type 
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

漣 (吹雪型駆逐艦) : ウィキペディア日本語版
漣 (吹雪型駆逐艦)[さざなみ]


(さざなみ)は大日本帝国海軍駆逐艦一等駆逐艦吹雪型(初雪型)の19番艦。特型駆逐艦〔#日本軍艦集2600年版p.45『一等驅逐艦 潮(うしほ) 基準排水量1,700噸、長さ113.2米、幅10.3米、平均吃水2.97米、速力34節、備砲12.7糎砲6門、魚雷發射管9門、起工昭和4年12月24日、進水昭和5年11月17日、竣工昭和6年11月14日、建造所浦賀船渠株式會社 ― 特型驅逐艦。一文字名前のものには、このほかに、曙、朧、漣、雷、電、暁及び響の七隻がある。』〕。吹雪型の後期型(朧型)〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.160『吹雪型(十六隻) 艦種 一等驅逐艦 艦名考 風波等気象に採る。|朧型(八隻)/朧(おぼろ)【二代】、曙(あけぼの)【二代】、潮(うしほ)【二代】、漣(さざなみ)【二代】、響(ひびき)【二代】、雷(いかづち)【二代】、電(いなづま)【二代】、暁(あかつき)【二代】 (要目建造日略)』〕。特II型の9番艦。この名を持つ帝国海軍の艦船としては、雷型駆逐艦「漣」に続いて2隻目〔。戦後、海上自衛隊たかなみ型護衛艦さざなみ」が就役した。
==艦歴==

=== 初期 ===
駆逐艦「漣」は舞鶴工作部で建造された。1930年(昭和5年)2月21日に起工〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日 )p.4『漣|一等駆逐艦|(艦要目略)|舞鶴工作部|5-2-21|6-6-6|7-5-19|(艦装備略)』〕。同日、舞鶴工作部では姉妹艦「響」の建造も始まっている〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『響|一等駆逐艦|(艦要目略)|舞鶴工作部|5-2-21|7-6-16|8-3-31|(艦装備略)』〕〔#日本軍艦集2600年版p.45『一等驅逐艦 響(ひびき) 基準排水量1,700噸、長さ113.2米、幅10.3米、平均吃水2.97米、速力34節、備砲12.7糎砲6門、魚雷發射管9門、起工昭和5年5月21日、進水昭和7年6月16日、竣工昭和8年3月31日、建造所舞鶴海軍工廠 ― 特型の建造は響を以て打切られたが、堂々23隻の大型驅逐艦の整備は世界に誇るものがある。』〕。1931年(昭和6年)6月4日もしくは6月6日に進水〔。1932年(昭和7年)5月19日に就役〔。一等駆逐艦に類別され、第二艦隊・第7駆逐隊に編入された。なお「漣」と同造船所・同日起工の「響」の竣工は「漣」から約1年遅れ、1933年(昭和8年)3月31日であった〔。
日中戦争に際して「漣」は1937年(昭和12年)以降、上海杭州湾上陸作戦、仏印の作戦に参加した。
1940年(昭和15年)4月15日、「漣」の復帰により第7駆逐隊は4隻(潮、曙、朧、漣)となり、引続き第6駆逐隊()と共に第二艦隊・第四水雷戦隊(司令官西村祥治少将:旗艦「那珂」)に所属する〔#支那事変第8回功績(7駆)p.1『自昭和十五年四月二十九日|第二艦隊第四水雷戦隊 對事変内地待機勤努』〕。同年10月11日、第7駆逐隊のうち「漣」のみ紀元二千六百年特別観艦式に参加した。11月15日、第6駆逐隊と第7駆逐隊は第一水雷戦隊(司令官大森仙太郎少将:旗艦「阿武隈」)に編入される〔#支那事変第8回功績(7駆)p.1『自第一艦隊第一水雷戦隊 對事変内地待機勤努』〕。
1941年(昭和16年)7月18日、第7駆逐隊は第一航空艦隊(司令長官南雲忠一中将)・第一航空戦隊(空母赤城加賀)に編入される〔#支那事変第10回功績(7駆)p.1『自7月18日至11月31日|第一航空艦隊第一航空戦隊 對事変内地待機勤務』〕。8月、それまで7駆司令だった渋谷紫郎大佐は第16駆逐隊(雪風時津風天津風初風)司令へ転出、第7駆逐隊には小西要人大佐(戦死時、雲竜型航空母艦雲龍」艦長)が着任した〔#支那事変第10回功績(7駆)p.1『8月12日旧司令渋谷大佐転任、新司令小西大佐ノ部下ニ属ス』〕。
9月1日、「漣、朧」は第7駆逐隊から除籍〔#内令昭和16年9月(1)p.3『内令第九百九十七號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年九月一日 海軍大臣 及川古志郎 第七驅逐隊ノ項中「朧、」及「、漣」ヲ削ル』〕。第五航空戦隊(空母翔鶴、特設空母春日丸)に編入されるものの〔#支那事変第10回功績(7駆)p.1『自9月1日至9月24日漣単独駆逐艦トナル/9月1日ヨリ朧単独駆逐艦トナル』〕〔#支那事変第10回功績(朧)p.1『自9月1日至11月20日|聯合艦隊第五航空戦隊ニ属シ戦隊諸訓練ニ従事シツヽ対事変待機』〕、「漣」は9月25日に第7駆逐隊に復帰〔#支那事変第10回功績(漣)p.1『9月25日七駆ニ復帰』〕〔#内令昭和16年9月(4)p.21『内令第千百十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年九月二十五日 海軍大臣 及川古志郎 第七驅逐隊ノ項中「潮」ノ下ニ「、漣」ヲ加フ』〕。第7駆逐隊は「潮、曙、漣」の3隻で太平洋戦争に突入した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「漣 (吹雪型駆逐艦)」の詳細全文を読む




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